働くことの意義について

 

筆者にとって働くことは飯を食っていくこと以外の何物でもない。


もちろん農業などを行い自給自足ということも可能かもしれないが、
現代社会においては金と物との交換がメインになる。

だから、自己実現ややりたいことがどうとか言っている人に関しては、
「すごい恵まれた環境で育ってきたんだろうな~」としか感じない。

もちろん、仕事を通して自己実現することはできる。
大物企業家などはそれにあたるだろう。

自分がやってみたいことをビジネスとして実現した、している人なのだから。

しかし、筆者のようなサラリーマンになる人間にとってはどうなのだろうか?


やりたいことがあって会社に就職する。

これは業界的な意味では希望が合致しているだろう。


実務的なレベルで合致するのだろうか?

たとえば、医薬品の開発をしたいという人間が医薬品メーカーに入ることは希望に沿った選択だ。
でも、医薬品の開発の中でどういったことをしたいとなると合致することは難しくなる。
白血病なのか、アルツハイマーなのか、はたまた癌なのか。

もちろんある程度その専門性のある企業に入るだろうが、その中でさらに細分化されて配属されるのだから、入社後どんな部署に飛ばされるかわかったものではない。

そんな状況の門戸なのに、「自分は~がしたいです!」なんていうのはめんどくささのきわみではないだろうか?


なぜなら、サラリーマンとして雇うからだ。サラリーマンはお金を得る代わりに労働力を提供するだけに過ぎない。
それ以上でもそれ以下でもない。そこに一方的な条件をつけるなど雇用側にとってはめんどくささしかない。

実際に面接等ではそんなことは口が裂けても言わないのが被雇用者である。
その時点でミスマッチを生んでしまっている。


そんな人たちで溢れていて、いずれは「こんなふうに働くとは思っていなかった。」、「仕事がたのしくない。」なんていいだすのだから困ったものである。

 

つまり言いたいこととして、働く意義なんてものは「生きていくために必要なお金を稼ぐ」ための行為でしかないと割り切ったらどうだろうか。

自己実現をしたいならその仕事を早くから始めればいい。
起業するなりなんなりしてはじめればいいのだ。

サラリーマンになるなら、上記のことを理解した上でどうやって自分のやりたいことを・興味のあることを副業なり趣味なり転職なりで実現することを考えるほうが現実的だ。

所詮人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないのだから、現実を理解したうえで働くという選択をとりたいものである。


人生という名の冒険は続く・・・

就職活動・大学院進学を行う前に読んでおきたい書籍

大学院も終わりに差し掛かり修士論文を書いている現状から就職活動ってどんな風に考えていたのだろうか捕らえていたのだろうかと考え直すことが多くなった。

自分なりに進路については悩んでいた。

・博士課程への進学

・大手メーカーの研究職

・大学院の研究の延長で中小メーカーへの就職

外資メーカー、コンサルへの就職

ベンチャー就職

上記に示す順番のとおりに悩んで最終的には世間でベンチャーといわれる会社に就職することになった。

今まで積み立てた理系としてのキャリアをリセットする形での就職となった。

自分はこの選択に対しては正しかったと認識しているが、いまだに悩むことは多くある。

現在就職活動をしている人も同様だろう。

そういった人が呼んで少しでも参考になればと思い、自分が参考にした書籍を紹介する。

 

①研究職を考えている人たちへ

企業の研究者をめざす皆さんへ―Research That Matters

IBMの研究所所長まで上り詰めた丸山宏さんの著書である。その名のとおり企業で行う研究者として大事なことを書いてくださっている。特に研究の進め方やマネージメントの仕方について話してくださっている。

企業の研究ともなるとなかなか内部がわかりにくい。OB訪問でわかることもあるのだろうが、退職された研究所長に会えることはあまりないだろう。こういった本で自分のキャリアについて想像してみることが望ましいと考える。

 

博士号だけでは不十分! ―理系研究者として生き残るために

これは日本ではあまり知られていないが、海外では有名な著書。理系研究者として生きていくためには博士号は絶対条件となるだろう。企業で研究することになっても博士号は必要だろう。そういう就職先や進路選択をする前に読んでおきたい。

実際には博士号は単なる資格であって、運転免許みたいなものだ。免許取得者がどの程度仕事ができるかなんて免許を見ただけではわからない(ペーパードライバーがいるのだから)。

それに仕事ともなるとコミュニケーションが必要になる。博士課程に行く人の多く(そういう人が滞在する研究室の多く)が根暗な場所になりがちである。筆者の知っている研究室の博士課程は非常に根暗な人が多い。国際的に研究活動を行っているところに関しては非常に多くの学生が集まり活気があるがそうでない場合は悲惨なものである。

何がいいたいのかというと博士課程だからといって研究室でただただ研究していれば言いというものではないということである。外部の研究者と会うことも重要だし、定期的に研究室のメンバーと仲良くなる必要もある。

そういった研究以外のことについても言及してくれる書籍である。お堅い人間にならないためにも一読しておきたい。

 

②働くということについて

採用基準

マッキンゼー出身の著者が書いている採用の基準についての書籍。個人的な意見ではあるがここに書かれていることが就職活動をする上でのすべてだと考えている。会社ごとに求める人物像が違うとか色があるとかいわれているが、結局のところ”優秀”な人がほしいだけだ。それだけで宣伝してしまうとそこそこの企業は”優秀”な人材は取れないので、文化だとか人間性だとかきれいな言葉を使って勧誘している。

優秀な人間は大体英語やリーダーシップ(責任能力・組織運営力)が高い。そこに人間性が加わるだけだ。元々の能力地が低いと話しにならない。

日系企業だけ見るのではなく、より競争の激しい外資で求められている能力を知ってから就職活動をするほうがいいだろう。

 

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

採用基準と同じ著者の書籍。

こちらは働き方んいついて書かれている。生産性という観点からどういう働き方が求められるのかということについて知ることができる。就職したばかりの人間がこの本にあるように働くことは難しいだろうが、頭の片隅においておくだけでも意識が変わると思う。

③生き方として

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

筆者は仕事とは飯を食っていくためにお金を稼ぐ手段だと考えている。世間では自己実現とか言われているが、仕事は誰かがやらないことをやるのだから、バイトの延長でしかない。強いて違いがあるとすれば責任の範囲が異なり、それゆえに創意工夫の余地があるのだ。

もちろん、自己実現と金稼ぎが一致する人もいるけれど、そういう人は幼少期からひとつのことだけに打ち込んで成功した人がメインだろう。

だから、筆者は仕事と自己実現を分けて考えている(何とか一致しないかと考えているが)。そのために自分なりの自己実現を仕事と平行してできないかということを考えるためにこの本を読んだ。

著者自身は優秀なチェスプレーヤーで映画のモデルにもなっているほどの天才だ。

そんな著者がチェス(仕事)とは異なる趣味(武術)をうまく取り入れることで仕事と趣味を互いに高めることができた。その手法について語ってくれている。

仕事と趣味が必ずしも一致することはないと考えている筆者はこの人からどういう風にしてサイクルをまわせばいいのかということを学んだ。

社会に出てから人事の判断でやりたくないことをさせられることも増えるはずなのでそういったときになる前にこの本の著者のように自分の中でうまいサイクルをまわせるようになると良い。

 

以上、気になったら書籍を手にとって見てほしい。

進路決定に少しでも参考になるはずである。

 

人生という名の冒険は続く・・・

好きって、愛ってなに?

最近友人とのやりとりで

友人:「惰性で彼女と付き合っているでしょ?」
自分:「惰性?そんなことないけどな。」
友人:「すきなの?」
自分:「うん、好きだよ。」
友人:「そうなんだ。」
といった感じのやり取りがあった。

なんで、こんなふうに言われるのだろうと考えていた。
おそらく僕が
・6歳上
遠距離恋愛(600km)
・会うのは月1~2ペース
・来年から600⇒1200km
のような人と付き合っているためだろう。

確かにこれを見てみると「惰性で付き合っているの?」といわれても仕方が無い。
自分でも良く続いているなと感心しているほどである。

しかし、ふと考え直してみると特に問題は無い。
自分の時間をしっかりと確保できているし、連絡はSNSで適度に交わしている。
月に数回のペースだがあってコミュニケーションは取れているし、価値観もあっている。
お互いそれなりの夢を持ってかなえるために大なり小なりがんばっている。

今のところそんなに不満は無い。
むしろこんな感じの自分でつりあっている?認められているのであれば願ってもいないことなのではないか?

というわけで、自分にとって好きとは、愛とはどういうことなのかと考えてみる。


私の尊敬するGacktさん曰く
好き:自分発信で相手に行くベクトル
愛:相手からのベクトルを受け入れること
らしい(筆者解釈)。

 

私はGacktさんのファンなのでこれを真として採用する。
だとすると愛は互いにベクトルを持っており、互いに受け入れることになる。
前提として、愛はベクトルがないと存在しない。受け入れてもらえなければ存在しない。

では、愛に必要不可欠な好きベクトルとはどういったものなのだろうか。
これは個人の定義に左右されるので、一概には定まらないだろう。

筆者の中では「味噌汁とご飯」だと考えている。
たまごかけごはん」でもいいし、「豚汁」でもいいし、「お吸い物」でもいい。

なにが言いたいのかというと、「飽きない味」であることが重要なのだ。
毎日食べても飽きない味、飛び切りおいしいというわけではないけれどないといけない存在。
そういった感情が好きというものだと思う。
これはどちらかというと幸せを感じるときの感情に近いのかもしれない。

旅行に行ったとき、高級フレンチを食べたとき、ほしいものを手に入れたときのような一時の快楽とはことなる至福の感情。
これが僕の中では好きと入れるものなんだと思う。

何がいいたいかというと自然とにじみ出てきてなくなることの無い感情だから日常的に知覚しにくいんだよ。
だから、楽な状態で続いていける関係のほうがちょうどいいのだよと。

今の僕にとっては現状は楽な状態だ。もちろん会えなくてつらいこともあるけれど、まぁ何とかなっているし。
それぞれやりたいことがあるのだからしょうがない。

毎日のように会えて、刺激的な日々を過ごすことも重要かもしれないけれど、こういう考え方もあっていいでしょう。


人生という名の冒険は続く。

住居としてのシェアハウスを選ぶときに注意したいこと

 

少し前からシェアエコノミーが盛んに叫ばれるようになって来ましたね。
カーシェア、駐車場のシェア、住居のシェアなどなど、さまざまのものを所有せずに必要なときに必要な分だけ使うのが一般的になりつつあります。

若い方なら、そういった価値観は柔軟に受け入れることができるでしょう。
その結果自分もシェアハウスに住んでみたい!なんて思う人もいるのではないでしょうか?

判断する基準はいろいろとあります。
なぜなら、人によって住居に求める価値観が異なるからですね。
これは当たり前のこと。だから、入居する際には住居に対する自身の目的や願望をはっきりさせておくとよいでしょう。

以下に述べるのはシェアハウス生活4年目の筆者が特に重要にしている観点です。
・運営会社への信頼
・住人の数
・家賃以外の出費

 

運営会社の信頼
正直なところ運営会社がクソなところが多い印象があります。
シェアハウスの運営はおそらく面倒なことが多いのでしょう。
だから、対応が遅れてしまったり、不親切な対応をとられがちです。
なので、返信や説明の丁寧さを重視して決めることが大事だと考えられますね。


住人の数
住居携帯によっては社宅のように100人くらい収容してしまうような大規模なシェアハウスから、6人くらいの非常に小さいものまであります。
その人数によって生まれる人間関係も変わってきてしまいます。
これは単純に顔を合わせる回数が多いか少ないかです。人数が少なければ必然的に顔を合わすことになるでしょう。
多ければ、いろいろな人と話すことはできる反面ひとりひとりとのコミュニケーションは少なくなっていきます。

 

家賃以外の出費
家賃が安いのは当たり前ですが、気をつけたいのはそのほかの出費です。
そのほかの出費というのは水光熱費と共用消耗品と洗濯機が無料かどうかなどです。

家賃は収入の3割といいますが、実際には上記のものを加えると4、5割になってしまいます。
生活に関わる費用は安いことに越したことは無いです。
なので、ほかの費用を調べた上で算出することが望ましいです。

簡単に列挙しただけですが、参考になれば。

大学生のインターンシップ

インターンシップなんかに行くよりも先に研究室に入って学会に一回出て来い!


これは最近思った個人的な自論である。

正直大学生がインターンシップに行くのはあまりメリットがないと思われる。

継続的に行うのならば、なにかしらの積み重ねが目的ならばいいのかもしれないが、基本的に行く意味は無い。

 

それは多くの場合インターンシップとは”労働力搾取”だからである。

働くとは時間を提供して対価を得ることに他ならない。これをどれだけ最大化できるかが働く上でのポイントになる。

だから、就職する際の多くの学生は平均年収の高い会社を選ぶのだろう。これは自身の労働力という対価を最大限高く売るために年収というものを基準にして行う活動であると筆者は認識している。

だからこそ、インターンシップには行く意味が無い。

インターンシップに行っても、多くの場合が短期的に”気持ちいい”刺激をもらって帰るだけで何かしらの経験が積めるかというとそんなこともない。

新規事業立案ひとつとっても、そんな短時間で立案できるのであれば苦労はしない。給与も出ないことが多く、一瞬の快楽を得ることに焦点を当てすぎた活動になっている可能性がある。

そういった活動をするよりは自分の興味のある研究室のゼミに顔を出して、研究活動に参加させてもらったり、雑誌会で論文を読んでみることのほうが有意義だと感じる。

 

仮にインターンシップに行くのであれば、

・短期的に集中して複数社重なるように行く。

・高給与がもらえるインターンシップに行く。

・短時間でもいいから継続して働けるインターンに行く。

くらいしかやることがない。

 

短期集中でインターンシップに行き経験を貯めるか、高給与をもらいながらある程度の機関働いてみるか、バイト感覚で長期間続けて仕事の全体像をみながらロールモデルを探してみるか。

 

ほかにもあるとすれば、就職先の会社でインターンすることくらいではないだろうか。

 

いずれにしろ学生という時間はモラトリアムの期間である。

成長したいと切望する人には大学はあまり刺激的ではないだろう。

自分勝手に勉強したい人にとっては恵まれた環境だろう。

 

どう生きるのもいいけど、インターンは個人的にはあまりお勧めしない・・・。

 

人生という名の冒険は続く・・・。

 

 

大学院生のスランプ・ストレスから抜け出す方法

それは逃げることである。

いやなことがあるなら逃げるべし!

逃げる恥だが・・・である。


大学院生(修士課程)に進むと非常に精神的な疲労がたまってくる。
どういった疲労なのかというと、以下のとおりである。

・結果がでないという一過性の現象による疲労
・指導教員からの指導による疲労
・後輩の指導にかかる疲労
・給与が一切もらえないことによる疲労

これらが主な精神的に疲弊していく要因である。

大学院は孤独な場所であることが多い。
特に研究室に恵まれない場合はなおのこと疲弊していく。
筆者自身はやりたい研究のために大学院を変えた(世間で言うロンダリング)。
その際に自分の学部と違う専門分野に進んだために非常に苦労をした(現在もしている)。

何が言いたいのかというと日本の大学院という場所は正直あまりいい環境ではないということ。
なぜいい環境でないかというと教員の質が低いのである。
だから、学生は上述したような疲労を蓄積していき破裂してしまう。

指導教員が適切に学生に対して進路を見出せない現状が今の日本の大学院である。
もちろんそういったことが無い大学院も存在するし、研究室が恵まれていることも良くある。
だが、筆者のようにすさんだ研究室も多くあるということを理解していてほしい。

さて、そういったすさんだ研究室に入ったときに陥ってしまうスランプやストレスから抜け出す方法は

めりはりをつけること

だと筆者は思う。
精神的な疲労がたまると何もやる気が無くなる。
正直、大学院は自分が悪いわけではないのに攻められる理不尽な場である。
理不尽すぎて筆者の精神は完全に参ってしまった。

そんなときに筆者は短期的にがんばることを決めた。
短期的にこの日だけは、この期間だけはがんばってみる。ということを続けていくのである。
筆者の場合は
・実験期間が決まっていたので実験期間中はがんばる。
・学会発表はがんばる。
・論文作成はがんばる。
といったようにその時々で自身のがんばりを決めて行動していた。

それ以外のときは何をしていたのかというと
・旅行
・映画鑑賞
・彼女との旅行
・ひたすら漫画を全巻読む
などである。


これを読んだ方でそんなの研究活動ではないと思う方がいるだろう。
確かに研究活動ではないのかもしれない。本来の研究というものの姿は日々こつこつと実験していくことなのかもしれない。
しかし、日々こつこつと実験を行うというのはあくまで結果をだすための行為であって、必要かといわれると必ずしもそうではない。
自分なりのやり方でコミットしていけばいい。

筆者の場合実験前(2017年5月~10月)は深夜まで作業していることなんてざらであった。
その分終わった後はゆっくりと活動した。
急激な仕事の為に燃えつきかけたときは何もやらないことにして研究室から距離をとった。


結果を出せば卒業できるし、学会にも出れるのが大学院である。
そのために自分を殺してまで生きる必要はない。

やりたくないことがあるときはやらずに、短期集中でつぶせばいいのさ。

 

 

研究室選びで大事なこと

はじめに

大学院性になってから2年近くになろうとしている。

そこで新しく入ってくる大学院生や早期配属(成績優秀故に早めに配属される子達)を見ているとなんでこの研究室にきたのだろうと思ってしまう子達が多い。

 

これは優秀なのになんでわざわざうちなんかに来たのかという疑問である。

「特に素晴らしい成績を出していない研究室なのになんで?」

 

かくいう僕自身もなんでこの研究室に入ったんだろうと、自身の所属を疑ってしまう毎日であり、後輩には大学院に行くならうちはやめろと毎度のことのように伝えているのだが。。。

 

なぜこれほどまでに変な選択をしてしまう学生が多いのだろうと考えた結果をまとめてみようと思う。

研究室に選びのポイント

①研究資金

研究を行なって行く上でお金は非常に重要なファクターである。

実験器具を買うにも実験するにも金がかかる。装置を壊してしまった時なんかは数十万単位でお金が飛んで行く。

だから、研究室がお金を持っているかは非常に重要な要素である。

 

特に日本の研究者の場合研究費の大部分は科研費から取って来ているので、研究室の教員がどの程度の予算をどのくらいの期間で得ているのかをしっかりと把握しておくことが重要だろう。

多くの研究予算を持っているということはそれだけ実績をあげている研究を行なっているからだからだ。

 

②学会発表数

学生一人当たりの学会発表数をしっかりと確認することが望ましい。

研究室配属前は教員の実績を見てしまいがちだ。しかし、教員の論文の多くは学生の研究成果をまとめたものであることが多くない。教員(准教授以上)になってくると研究を行うというよりもマネージメントに従事する人が多くなってしまう。

だから、教員の論文数を見ても学生がどれだけ頑張っているか、つまりは自分がどれだけ成長できるのかについては全くわからない。

もちろんある程度の相関はあるだろうが、学生の平均学会参加数をしっかりと集めた方が自分がどのくらい成長できるのかわかりやすい目安になるだろう。

研究を頑張りたい人は平均学会参加数の多いところに行くといいだろう。

 

コアタイム

研究室にはコアタイムというクソみたいな制度が存在する。これはある決まった時間は研究室に在室しなければいけないというルールだ。

正直なところ、このルールに関しては一長一短だ。

僕はコアタイムは嫌いなので(なんで自由に対してお金を払っている学生が縛られないといけない?)コアタイムを敷いている研究室はおすすめしない。

大学院(修士)は研究を深めるには不十分な期間である。深めたいならば、博士課程に行くべき。むしろ修士はどれだけ自身の見聞を広げることができるかを試す場所であると個人的には思っている。

だから、コアタイムで学生を縛る研究室はおすすめしない。

まぁ、これは研究自体に、実験にどれだけ時間が必要かにもよるのでなんとも言えないが。

 

④ドクターの数

個人的にはこれがもっとも重要かもしれない。

正直、研究室で指導してくれる人はほとんどいない。僕自身、大学院で研究室を変えたので右も左もわからない頃に色々な先輩に「手伝わせてください。」、「先輩の研究の一部をやります。」。「こういうことやりたいんです。」と言ったけども何も任せてもらえなかった。

研究は自分でやるものとよく言われるが、学生みたいなカスは任せてもらえないと何も進めることはできない。自分で研究テーマを見つけることができる天才および秀才はまた別だが。

凡人は誰かから仕事を任せてもらうしかない。

この時重要なのが、ドクターの数だ。

正直、修士課程に進んだだけの学生なんて高が知れている。対して優秀じゃない。というか経験が足りない。だからこそ、博士課程に進んだ経験豊富な猛者たちが必要になる。僕自身研究でつまづいた時に中国人のポスドクと日本人の博士号取得者に聞いている。

彼らは教員に比べて学生に近い存在だから、色々と教えてくれる。研究室でどのくらいの学生がドクターとしているのかを探すとほんのちょっとしかいないところと留学生がたくさんいるところで顕著に別れていることがわかるだろう。

これでいい研究室かどうかが一目瞭然となる。