無駄・浪費時間こそが大事なのでは?

大学院生ともなると時間をもてあますこともある。

自分で好きなときに大学に行き研究を行い結果を出せばいいのだから自由度は高い。

今の僕は結果を出して修士論文を書くだけでいいからなおのことやる気が無い。

 

最初はそういう環境は良くないと思っていた。無駄な時間、何もしない時間、ただ寝る時間はもったいない。何かしなければ!人生は有限なんだから。

 

しかし、今は違う。こういう無駄な時間も重要なんではないだろうかと考えるようになった。

確かに何もしない時間はもったいない。一方で何もしないからこそ見えてくることがあるように感じる。それは自分の心の声だ。

僕の場合は修士論文を書くことになってから大学に行きたくないと感じるようになった。自分が関わっている別のプロジェクトもそんなに深くやらずにいようと。

最初はこういう考えが浮かんだ時点で自分はダメな人間だと考え、何とか必死に大学に向かっていた。だけれども、この考え方こそ重要なのではないだろうかと今は感じている。

なぜなら、その声に従ったほうがストレスが無くてらくだから。

何がいいたいのかというと無理に何かをする必要が無いからだ。やりたいときにやりたいことができるという恵まれた環境なので、大学に行かないときはアニメや映画を観たり、気になる内容を調べてみたり、食事関係の情報を収集したりと自分が興味のあることについてブログを書いたりできている。

単純に現実逃避といわれたらそのとおりなのだろうが、今の僕にとってはこれが一番心地いい。少し前まで何かやることがないと落ち着いていられなかった自分からしたらかなりの驚きなのだ。

もちろんやらないといけないことは山積みなのでやらないといけない。ベーシックインカムが実現しない限りやらないといけない。

 

だけれども、やはりストレスがないというのはもっとも良いことだ。こんなにも快適に毎日を過ごすことができるのだから。

 

また、無駄時間を使って内省することもできる。

自分ってどういう人間なのかどういうことが得意でどういうことが苦手なのかといったことだ。

こういうことって暇なときにしか考えることができない内容だろう。そもそも考えることすら時間の無駄と考えられがちだ。だからこそ楽しかったりする。

なんで、この仕事を選んだのだろうとか、次の人生の目標はどういう風に設定しようとかだ。

 

まぁ、こんなことはただの暇つぶしにしか過ぎないのかもしれないし、そういう年頃なのかもしれない。

今はこの状態でできることをすればいい。

 

人生という名の冒険はつづく・・・