好きって、愛ってなに?

最近友人とのやりとりで

友人:「惰性で彼女と付き合っているでしょ?」
自分:「惰性?そんなことないけどな。」
友人:「すきなの?」
自分:「うん、好きだよ。」
友人:「そうなんだ。」
といった感じのやり取りがあった。

なんで、こんなふうに言われるのだろうと考えていた。
おそらく僕が
・6歳上
遠距離恋愛(600km)
・会うのは月1~2ペース
・来年から600⇒1200km
のような人と付き合っているためだろう。

確かにこれを見てみると「惰性で付き合っているの?」といわれても仕方が無い。
自分でも良く続いているなと感心しているほどである。

しかし、ふと考え直してみると特に問題は無い。
自分の時間をしっかりと確保できているし、連絡はSNSで適度に交わしている。
月に数回のペースだがあってコミュニケーションは取れているし、価値観もあっている。
お互いそれなりの夢を持ってかなえるために大なり小なりがんばっている。

今のところそんなに不満は無い。
むしろこんな感じの自分でつりあっている?認められているのであれば願ってもいないことなのではないか?

というわけで、自分にとって好きとは、愛とはどういうことなのかと考えてみる。


私の尊敬するGacktさん曰く
好き:自分発信で相手に行くベクトル
愛:相手からのベクトルを受け入れること
らしい(筆者解釈)。

 

私はGacktさんのファンなのでこれを真として採用する。
だとすると愛は互いにベクトルを持っており、互いに受け入れることになる。
前提として、愛はベクトルがないと存在しない。受け入れてもらえなければ存在しない。

では、愛に必要不可欠な好きベクトルとはどういったものなのだろうか。
これは個人の定義に左右されるので、一概には定まらないだろう。

筆者の中では「味噌汁とご飯」だと考えている。
たまごかけごはん」でもいいし、「豚汁」でもいいし、「お吸い物」でもいい。

なにが言いたいのかというと、「飽きない味」であることが重要なのだ。
毎日食べても飽きない味、飛び切りおいしいというわけではないけれどないといけない存在。
そういった感情が好きというものだと思う。
これはどちらかというと幸せを感じるときの感情に近いのかもしれない。

旅行に行ったとき、高級フレンチを食べたとき、ほしいものを手に入れたときのような一時の快楽とはことなる至福の感情。
これが僕の中では好きと入れるものなんだと思う。

何がいいたいかというと自然とにじみ出てきてなくなることの無い感情だから日常的に知覚しにくいんだよ。
だから、楽な状態で続いていける関係のほうがちょうどいいのだよと。

今の僕にとっては現状は楽な状態だ。もちろん会えなくてつらいこともあるけれど、まぁ何とかなっているし。
それぞれやりたいことがあるのだからしょうがない。

毎日のように会えて、刺激的な日々を過ごすことも重要かもしれないけれど、こういう考え方もあっていいでしょう。


人生という名の冒険は続く。